昭和22年(1947)まで
T13年 (1924) 12月6日・誕生
S06年 (1931) 04月・浜松市、竜禅寺小学校入学
S12年 (1937)?月・高田浩吉に入門、鶴田栄一と名付けてもらう。
11月12日・林長二郎顔を切られる。後日師匠が見舞に行くのにお供する。
S13年 (1938) 11月03日・「灰燼」(冬島泰三)松竹下加茂…仕出し
11月17日・「雨降り峠 横浜兵庫開港篇」(秋山耕作)松竹下加茂…丁稚?
S14年 (1939) 01月・太秦の裏のオープンセットで「会津の娘達」を撮影中、水道の雨が降る中撮り終えると40度の発熱、京都の大学病院へ1ヵ月以上入院。入院中読書に目覚め、退院すると受験勉強を始める。
02月15日・「会津の娘達」(広瀬正章)松竹下加茂…西郷某、家老の息子で白虎隊員。
04月・此花商業に入学。
この頃から卓球を始める。
S16年 (1941) 3年の時、明治神宮体育大会の予選で大阪代表になるも卓球は除外される。
S18年 (1943) 03月・関西大学入試に失敗 →他2
S19年 (1944) 04月・関西大学専門部商科に入学。
S20年 (1945) 09月・軍隊から復員し浜松へ帰る。
11月・高田浩吉劇団結成。
S21年 (1946) 02月01日・新京極「京都座」で浩吉劇団結成第一回記念公演が行われた。1ヵ月間の公演と思われる。
S22年 (1947) 正月・松竹大船で師匠が「仮面の街」を撮った時、キャメラテストを受けるが不合格。
3月01日・新京極「京都座」で浩吉劇団二周年記念公演。鶴田浩二として端役で出演
10月1日・新京極「京都座」で浩吉劇団公演。出演。

注①……[平凡S27.4]
注②……[平凡S28.7](私のアルバム高田浩吉後篇より)
…………前後略。昭和13年には『人肌観音』『お神楽半次』『緋牡丹伝奇前后篇』お盆映画の『関の弥太ッぺ』『黒田誠忠録』『木曽路の鴉』『白鷺の唄』それに徳富蘆花原作の名作『灰燼』には弟の茂の役で出演しましたが、この映画には鶴田浩二君が仕出し役で出ました。ついで義士ものの『満願の朝』に勝田新左ェ門。田中絹代さんとの『新釈唐人お吉』など。
注③……[キングS28.5]
注④……[卓球人S25.08]
…………(第12回明治神宮国民体育大会の事。[Wiki 明治神宮競技大会] H28.8.22 閲覧)
注⑤……[平凡スタア・グラフS30.5]
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