頁8 他、色々 

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 P8-10 R02.01.06
再起に張りきる鶴田浩二・S31年
再起に張りきる鶴田浩二……[週刊東京S31.10.6]

 再起とは野球で骨折したことと、そのために「殉愛」撮影中、「オレンジ運河」等撮れなくなったことか。

 P8-09 R01.12.23
八千草薫と対談・S31年
八千草薫と対談……[婦人生活S31.9]

 この対談は「殉愛」撮影の初期のころか? 7月24日の骨折で撮影がだいぶ遅れたそうだ。他に娘の名前の由来等。

 P8-08 H31.09.15
鶴田浩二物語・S27年
チャンピオン 鶴田浩二物語……[近代映画S27.1]

 三船敏郎の「酔いどれ天使」が浩ちゃんを映画界に入れさせた。

 P8-07 H30.12.21
飛車角とメロドラマと・S38年
「スタアと共に」のインタビュー……[映画情報S38.1]

 由原木七朗、加東康一の二人が青山の鶴さん宅を訪問してのインタビュー。

 P8-06 H30.12.16
情念を歌にこめて・S54年
「鶴田浩二特別公演」より丸山正一……[日本劇場パンフレットS54.2]

 H30年11月20日に衛星放送された「私がつくった番組 マイテレビジョン」鶴田浩二編にゲスト出演していた丸山正一、由原木七朗、加東康一は、新聞・雑誌の芸能記者で鶴さんとは松竹時代からの付き合い。

 P8-05 H29.09.27
僕のロケ記・S25年


「接吻第一號」中京へ行く……[オール松竹S25.9]

名古屋ロケが終わり撮影隊は、静岡ロケに出発した。

 P8-04 H29.06.30
「男たちの旅路」2・S50年  二度怒鳴られた話 川口幹夫……【冷や汗、感動50年 H16.11

「男たちの旅路」3回目の収録の日、鶴さんがNHKで玄関払いされた件+「黄金の椅子」での時間切れ。→ 〈ここから

このリンクは「 Report from Kamakura」様の頁より貼らして頂きました。上記の本は著者がこのHPに寄稿したものをまとめたものです。

 P8-03 H29.06.09
彼の親友達・S26年  彼の親友達 野口実……[浩ちゃんの会会報S26.9]

平井敏さん……京都撮影所の宣伝課に席を置く関係上、鶴田とは入社当時からの親友。人の世話好きでこんな親切な男はない。鶴田が京都に居る時は四六時中一緒に居る男。何彼と鶴田の事については親身になってやっている。酒を呑むのが玉にキズ。通常敏(ビン)さんと呼ぶ。

斎藤甲子五郎さん……後援会の事務所であり、浅草雷門のプロマイド屋の御曹司。向ふ気が強く、正直者で頼まれたら越後から米つき位は朝めし前にやる男性NO・1。鶴田が東京に居る時大抵彼が一緒である。通常五郎さんと呼ぶ。

小松秀雄さん……松竹製作本部に席を置くが、日本橋、京橋、築地、銀座、新橋かいわい、知らない所があったら因みに彼に聞いて見給え、速答を得られるだろうと筆者は信ずる所、人物。(但し呑み屋、キャバレー、バーに限る。)従って顔の広いのも天下に竝ぶ者なく、内外人に知己を得てJAPAN小松で世界の各国から手紙が来るそうである。(これはいささかオーバーです)通常小松ちゃんと呼ぶ。

鹿島さん……京都撮影所の自動車部に席を置く。鶴田の言葉を借りれば車を運転させたら彼に追随するものは居ないだろうと――。曲ったことは嫌いで、仲々男気のある人物。何時か鶴田が車を買った暁は彼の所へ来ると今から張切っている熱血漢。通常鹿島ちゃんと呼ぶ。

← 簑和田敏さん……
京都下加茂の俳優課に席を置いて明日のスターを夢見る好青年。鶴田について演技を勉強する機会を持とうとしているが、鶴田自身未だそこ迄行ってないので虎視眈眈と其の日を待っている。鶴田の良き助手であり、良き友人と云ふ所。通常簑和田青年と呼ぶ。

竹中季さん……大船宣伝課に席を置く。鶴田の友人。通常竹やんと呼ぶ。

 以上六名の外、多士済々だがその他の人々は余りにも社会的有名人であり茲にカリカチュアーと伝えるのは失礼と思ふので省略する。最後に会員諸兄姉に私が保証する。これ等の人々に何か鶴田のことを頼んで見給え。大抵のことは簡単に引受けてやって呉たる筈である。(但し直接でないといけませんよ―。)

 P8-02 H29.03.15
松方弘樹と対談・S36年
 10代の松方と京撮で対談「兄弟やくざがやりたいネ」……[明星S36.4]

 S39「博徒対テキ屋」で兄弟を演じる。

 P8-01 H29.02.05 Back→S30
獄門帳の松方弘樹・S30年  「獄門帳・三枝喬之助」の少年時代を、中学生の松方弘樹が近衛三四郎名で演じる。

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