頁6 軍隊

 管理人が集めた軍隊に関する記事をUPしていきます。時期、場所の次系列は、はっきりしないので適当に並べ、軍隊に関する知識はWiki等ネットで調べました。 鶴田関連軍隊年表は<こちら>

トップ3(不撮)4(&三船)6(軍隊)7(を語る)9(&三島)10

 P6-10 H28.11.14
「プロデューサー」青雲記・H24年 「プロデューサー」青雲記 近藤晋……[週刊新潮H24.6.21]

(前後略)
「君は僕とNHKの関係を知った上で来たんだろうな」「勿論です」
 鶴田さんは玄関に仁王立ちで肩のゴミを払うかのように手をふる。「しっしっ」と言われても帰る訳にはいかない。しばし無言で対峙した。そこに鶴田夫人の声がかかった。
「わざわざいらしたんだから、どうぞ」 お上がりなさい、という天の声だ。席に着くや否や、何故鶴田さんに出て欲しいのか、想いの丈をぶつけた。一通りは聞いてくれたが、答えは冷たいままだった。
「俺はやらない。そしたらお前、どうするんだ」
「潰します、この企画はなかったことにします」と、私は即答。駆け引きなどとんでもない、それは私の覚悟だった。
「鶴田さんでなければこの番組は作りません。山田さんも同じ気持ちだと思います」
 鶴田さんは沈黙した。奥さんが運んで下さった紅茶を静かに一口、二口と口に含んだ。私は動かない。三口でカップを机に置くと、 「先ず、脚本家に会わせてくれないか」 ゆっくりと言った。
 さっそく山田さんと訪ねた日。鶴田さんはドラマのことには触れず、自身の特攻隊体験を滔々と話した。自分は特攻機の整備士だったこと。生き残ったことに対しての自責の念、卑怯者だという思い。生き恥をさらしているのだとさえ言って、息もつかせず3時間、胸中を脚本家にぶつけたのだった。ドラマの基調はここで決まった。鶴田さんの思いを、後に山田さんは、見事な台詞にしている。
…… 《明日は死ぬと決まった特攻隊の連中を、俺は忘れることができん。明日は確実に死ぬと決まった人間たちと暮らしたことがあるか? それも殺されるんじゃない。自分で死ぬんだ。~ ~ ~》

 P6-09 H28.08.31
名も知れぬ行進曲に・S32年 夕焼けの詩……[近代映画S32.10]

  終戦後、横須賀の基地で進駐軍を迎える。

 P6-08 H28.10.23
男3人酔えば・S28年 男3人酔えば(部分)……[面白倶楽部S28.1]

 8月15日(終戦)~8月30日(アメリカ海兵隊の横須賀上陸が開始される)の間の事と思われる。

 P6-07 H28.07.07
海軍航空隊と私・S50年 海軍航空隊と私……[週刊読売臨時増刊S50.8.15]

  最後の配属は特殊潜航艇乗組要員か?


(作詞者、作曲者にはさまれて新曲「あゝ戦友」を歌う)

 P6-06 H28.07.01
特攻のがれに〝目を焼く〟・S33年 私のないしょ話 29……[週刊読売S33.11.2]

 このことで生涯重い鎖を引きずっていたのだろうか。

 P6-05 H28.06.17
飛行訓練・S58年 大西中将と私……【特攻の思想 大西瀧治郎伝S58.8

 館山航空隊で一式陸攻(乗員7名)の操縦手か偵察手、通信手、搭乗整備員のいずれかとして飛行訓練を受ける。

 P6-04 H28.05.11
水兵より飛行科志願・S50年 背中のある男……【この愛<かな>しきものS50.11

 武山海兵団から土浦航空隊、大井航空隊へ。第2期飛行専修偵察生徒か?

 P6-03 H28.04.15
軍年表を作ってみて・H28年  簡略表 S18~S20

18/10/02・勅令第040号…学生生徒の徴兵猶予停止(在学中で25歳迄の学生は徴兵検査を受けていない)。
18/12/06・鶴田、19歳の誕生日。
18/12/09・出陣学徒の海軍予備学生志願者が四つの海兵団に入団、ここで適性や身体検査、筆記試験などを受け一般兵科の海軍第4期予備学生、航空機の海軍第14期飛行予備学生(操縦・偵察・飛行用務)、第11期海軍主計見習尉官に大別された。
18/12/24・勅令第939号…徴兵年齢を19歳に引き下げ。
19/04/07・鶴田、関西大学専門部経済科に入学。
19/05/?・鶴田、横須賀第2海兵団(武山)入団。
19/05/16・三島、兵庫県加古郡加古川町の加古川公会堂で徴兵検査。第二乙種に合格。
19/08/10・海軍第2期予備生徒志願者入団。
19/10/?・三島、東京帝国大学法学法律学科に入学。
19/12/25・14期飛行予備学生は海軍少尉に任官。
19/12/25・1期飛行専修予備生徒は海軍少尉候補生を拝命。
20/02/10・三島、兵庫県富合村の高岡廠舎で入隊検査。右肺浸潤の診断が下され即日帰郷。
20/06/01・1期飛行専修予備生徒は海軍少尉に任官。
20/08/15・終戦。
20/08/18・兵科第2期予備生徒(第2期飛行専修予備生徒志願者で飛行不適の者が転属した)は、9月5日付で海軍少尉に任官するとの公式通知があった。
 この表でわかった事

① 飛行科予備学生でいえば、13期(飛行科を志願して受験し、最初から航空隊へ入隊した)・14期(徴兵されて飛行科を選んで合格した)は大学等を卒業した者。1期生徒は在学中の者。14期と1期生徒は海兵団で適性や身体検査を受け2ヶ月訓練して、各航空隊等へ転属し第14期海軍飛行専修予備学生、1期飛行専修予備生徒になった。皆20歳以上である。

② 浩ちゃんの徴兵年齢19歳の徴兵検査はS19年5月と思われる(以降推測)。赤紙は8月頃か? 三島の赤紙は翌年2月になっている。浩ちゃんは5月海軍に志願し、武山海兵団に水兵として入隊した。

③ 後にUPするが、浩ちゃんは武山で訓練中に飛行科を志願して6度目に通った。土浦航空隊で訓練を受ける。etc.
  ということで、S19年8月10日入団の2期予備生徒志願者の中にいたと思う。2期生徒の少尉任官は9月5日である。

④ 今より軍隊の知識がある時代に、何で13期や14期、1期生徒ということになっているんだろう?

 P6-02 H28.03.13 Back→S49
「特攻生き残り」俳優への疑問・S49年 「自称元海軍飛行予備生徒」鶴田浩二への抗議人たち……[週刊サンケイS49.3.8]

 鶴さんの軍歴はどうなのか。第1期海軍飛行専修予備生徒 or 第14期海軍予備学生 etc. 。記事には第2期予備生徒と書かれている。

 P6-01 H28.02.13 Back→S29
浜松で鳥居奉納・S29年 故鶴田浩二さんの鳥居 山あいの神社に 61年前、浜松で奉納

 母親の疎開先の現・浜松市天竜区春野町豊岡の赤岡地区より出征した。昭和29年5月、お世話になった人を訪ねた際に、無事に帰還したことを感謝して赤岡神社の鳥居の資金として1万円を奉納した。
 同年10月に完成したコンクリート製の鳥居には、発起人として地区の住民3人の名前とともに、「鶴田浩二」と刻まれた銘板が掲げられている。

「静岡新聞H28.1.7」の記事。


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