「男たちの旅路」1・S51年 |
「男たちの旅路」出演の弁……[サンデー毎日S51.2.29] (制作側の発端は)……【「プロデューサー」青雲記 近藤晋】 1970年代半ば、民放では各局に名作、ヒット作が生まれる中、「NHKは物を作るところではない」 との風評が流れ、ドラマ部は苦境に立たされていた。「なら、作って見せようじゃないか」 民放が作っていないもの、NHKは作らなかったもの、その物作りに必死になろう。「土曜ドラマ」粋が創設された。トップバッターに選んだのが『男たちの旅路』だった。 当時は若者天下、親も先生も上司も若者におもねる風潮……。40代半ばの私は、 「俺は今の若い奴は嫌いだ、と言いきる中年を主人公にして書いていただけませんか」と、脚本家の山田太一さんに相談した。 「役者は誰にするんですか」 即座に鶴田浩二さん(当時50歳)の名を出した。 「……あの人ならば」 番組成功の鍵が見つかった、と直感した。 以下、(P6-10・「プロデューサー」青雲記)へ続く |
大友柳太朗、大木実座談会・S28年 |
鶴田浩二、大木実、大友柳太朗座談会……[映画ファンS28.4] (補足) 歳は大木実が1歳上だが、大曾根監督の弟子としては浩ちゃんが兄弟子にあたる。 |
「東京騎士傳」ロケ風景・S27年 |
写真説明 松竹映画「東京騎士傳」ロケ先でこんな風景が見られました。左より堺俊二さん、鶴田浩二さん、角梨枝子さんの3人、おっと、鶴田さんの肩の上の可愛いゝ坊やを忘れるところでした。彼は堺俊二二世の正明君で映画初出演です。……[映画ファンS27.6] |
スタア診断6 鶴田浩二の魅力を探る2・S27年 | 「鶴田浩二 花束三つ」の内1つ、筆者は井手俊郎(シナリオ・ライター)。他は尾崎宏次(東京新聞文化部)、桂木洋子(松竹)が書いている。……[映画ファンS27.6] 題は「鶴田浩二」 知的な ―― とか、 精神的な ―― とか、 上品な ―― とか、 無雑作なスマートさ ―― だとか、その他いろいろな近代的な悪趣味。 そういう悪趣味を、まるで、ほんとうに知的でスマートなものであるかのように、愚かにも盲信してしまって、ひとりで悦に入っている醜態。そういう悪趣味を、装飾品のように、身につけて、そのために一つの型が出来たりして、却ってぎごちないポーズをとらなければならない破目になったり ―― そんなのは、もうちっとも知的でも、スマートでもない。 ××× そういう悪趣味に、全然、毒されていない ―― そういうめんど臭いものから、完全に解放されている ―― そういう偉そうなものを、あっさり敬遠している ―― というよりも、てんで無視して、無関心な ―― カラッと、影のない、爽やかな一人の若者 ―― のびやかな一つの若い肢体 ××× しかし ―― 鶴田浩二は、たくましいように見えながら、どこかにしなやかな線を持っている。 無骨なように見えながら、繊細な味をそっとかくしている。 ふてぶてしい動作を邪魔する、弱々しい、やさしい瞳の色。 カッと怒りっぽいくせに、冷たい、薄い唇。 無邪気な笑顔に似合わない、憂鬱な青白い皮膚。放埓な、真剣さ。 ××× 木村荘八の「現代風俗帖」という本の中に、次のような一節がある。引用させて貰って、鶴田浩二に関する、言い足りないところを補いたいと思う。 「(前略)頭は無帽に、リーゼントスタイルなどには刈らず、さっぱりと七三分けにして、油気もあっさりと、肌着には真白な首までつまったシャツを着て、上着は鈍茶色の無地のアロハ、ズボンはギャバジンだと思いますが、これも渋い灰色で、よくアイロンが利いて、すらりとしています。そして足先きが素足に革裏の雪駄といういでたちです。(中略)これが富代の『イキ』というものになるのだろうと見ました。」 |
いれずみ・S46年 |
〝プロの役者〟を自認する鶴田にとって、いれずみ(傷だらけの人生)をかきあげる3時間のあいだも重要な役づくりの時間だ。……[平凡パンチS46.7.12] 写真は「日本暴力団 殺しの盃」の毛利清二……【刺青絵師―毛利清二自伝 H10.2】 |
小沢監督の鶴田評・S46年 |
写真は「傷だらけの人生」撮影中で、キャプションに『スタジオマンたちが、あわただしく走りまわる中で、黙もくとセリフのケイコをする彼に、男のロマンがただよう。』とあった。あれッ、雑誌の撮影用か? 台本読んでる。 ……[平凡パンチS46.7.12] 文中に「ラモーの砦」とあるが竹中労によるシノプシスはこの本に掲載されている。……【浪人街/天明餓鬼草紙 S52.5】 映画になっていればハンケチの用意は必須だっただろう。読んだだけでも目から‥‥ |
鶴田浩二の24時間勤務・S28年 |
「野戦看護婦(S28.7.14封切)」の1日の拘束で出演料が300万円というのは、朝7時祖師谷大蔵スタジオに入り、日中はロケ地でオープンセット、夕方から翌朝までセットで撮影という強行軍。 「お疲れさまでした。OKです」 最後のセットに助監督の声が響いた。朝七時。新東宝撮影所の東の空が明けていた。 「ありがとう。よくやってくれましたね」 私の労いの言葉に、鶴田は彼独特のはにかんだような表情を見せた。だが、私の仕事はまだ終っていない。私は、待たせておいた車に鶴田を乗せると、松竹の大船撮影所に走らせた。朝もやの中を疾駆する車の中で私は、文句一ついわずに一睡もせずに24時間勤務に耐えてくれた鶴田に、もういちど心の中で頭を下げていた。(略) 鶴田は男気のある礼儀正しい人だった。実は私は、この「野戦看護婦」の前に一度だけ、彼に出演依頼したことがあった。「宗方姉妹」が、それである。京都・岡崎の旅館に鶴田を訪ねて、持参したシナリオを差し出すと、それまであぐらをかいていた鶴田は、急に正座して、台本を両手で捧げて一礼してからページを開いた。小津さんのシナリオに対する敬意からだろう。この時はスケジュールがダブっていて出演はできなかったが、礼儀正しい鶴田らしい風貌は、私の中に強く印象づけられた。 次の「さすらいの湖畔(S28.7.22封切)」(原作・北條誠、監督・渡辺邦男、主演・南風洋子、折原啓子、中山昭二、柳永二郎)でも、義理堅い鶴田は主題歌を歌ってくれた。例の一日3百万円に対し、彼なりに埋め合わせの気持があったのかも知れない。……【伝・日本映画の黄金時代 H01.03】児井英生著 |
高田先生お見舞・S28年 | 入院生活につづる感激の手記 高田浩吉より(前後省略) 鶴田君は、新東宝の仕事が終ってから 車で飛んで来て、その翌日慌しく車で帰ったが、彼も大曽根監督も病室へ入ってくると、おやというような顔をする、聞けば私が入っている(京都)府立医大の19病舎6号室は、鶴田君、大曽根監督共に入院した事があると言う。おまけに月丘夢路さんまで、この部屋にいた事があると言うのだから、よくよく因縁のある部屋だ。……[平凡S28.10] 新東宝の仕事とは「野戦看護婦」で、撮影が朝7時に終った。そのまま京都へ出発したのか? |
高峰三枝子と対談・S28年 |
この対談は大劇襲撃事件の3日前、1月3日の幕間に収録されたもの。……[平凡S28.4] |